筆者の紹介
こんにちは。筆者は30代前半の男です。
東京生まれ、東京育ち。生まれてから社会人3年目くらいまでは、都営住宅で両親との3人家族暮らし。
母親はうつ病や神経症などをもつ。
平常時はとても仲が良いが、スイッチが入ってしまったときは幼少の頃から嫌な思い出や抑圧を抱えて過ごしてきた。
父親は自営業。比較的その日暮らしで、70を過ぎたが元気にまだ働いている。
幼少の頃から家族3人仲が良かった筆者。毎週、父親がよくドライブに連れて行ってくれたものだ。
毎年、恒例となっていたさがみ湖ピクニックランド(元さがみ湖プレジャーフォレスト)のキャンプは、いまでも当時のワクワク感や楽しさを覚えている。
スーパースライドや当時3キロメートルもあったゴーカートは、何回も乗ったものだ。
父親と私
浮き沈みの激しい母親もよくいっしょに出かけたが、家で休んでいることも多かったゆえ、私は父親に連れられてよくドライブに連れて行ってもらった。
いま振り返ると、母親の調子が悪いときには刺激を与えないよう「避難していた」という表現が本質的だろう。
父親とは、男同士通じるものがあったようで、そんなときには暗黙の了解で出歩いた。
ある日池のある公園に行って鯉や鴨に餌をやっていたら足を滑らせてドボン。泣きながら車に戻って、慌てて身体を拭いてくれる父。
確か小学生くらいだったが、池に落ちるという想定外のことになぜか涙がこみ上げてきたが、「心配するから母親には言うなよ~」と父の砕けた会話に、男同士の約束のようなものを感じた。
幼少ながらも「母にばれたら、怒り出して収拾がつかなくなる」ということは、無意識に認識していた。
母が知れば逆鱗に触れ、1,2日は収まらない嵐が発生し、父親が責められ続ける。何度も味わった、その表現しきれない苦痛の空気で過ごす余力は、もう味わうのは懲り懲りだった。
そんな状況はもっとも避けたいことだ。
それを自分よりもさらに理解している父親の、母親への配慮や行動には、いつも共感が多かった。
触れていはいけない母親の逆鱗と何度も目の当たりにした自殺未遂
この頃から、多くの人なら笑って済むようなことが、母にとってはイレギュラーであることを理解していた。
そのイレギュラーな事象は、とてもまずいことである。
その一定のラインを超えることで母親は必ず怒り出し、何日も収拾がつかなくなることは理解していた。
そんな母親に最大限の気を遣いながらも、頻繁に起きる夫婦喧嘩。母親の自傷癖。自殺願望。
幼少の頃から、救急車は乗りなれたものだ。
母親が精神安定剤を大量に服用し、自殺未遂を図ったことは幾度とある。
小学校から帰ってきたら、異常ないびきをかき口から泡を出して昏睡状態なときもあれば、夜中に台所で包丁で自分の腕を切りつけている。見慣れたものだ。
大病院に運ばれた夜中の待合室で、念のため同行していた警察官から「頑張れよ」と、強く肩を後押しされたのはいまでも強く記憶に残っている。
幼いながらも「必ず誰かが後押ししてくれる。負けずに進んでいかないと」と思ったことは、いまでも忘れない一瞬だ。
耐えられず、母親を父親に一任して一人暮らし
そんな経緯もあり、自身が社会人になり数年立ったところで、同居のストレスに限界を感じ、都内で一人暮らしを開始。その後正月くらいしか会わないように。
母親が、内心は私のことを心配で心配でたまらないことはわかっている。
寂しくて寂しくてどうしようもないこともわかっている。
そして残った母親の矛先が、優しく母親を長年受け入れて寄り添っている父親に向くことも。
愛されて育てられたことは重々わかっている。誕生日を迎えるたびに、まだ○時になってないからまだ生まれてないんだからね、と、生まれた日のことを嬉しそうに、社会人になっても毎年毎年話してくれるような母親だ。
それを知った上で、私は一人暮らしを始めた。自分とこれからの人生を守るためだ。
父親はいつもその私の思いを汲み取り、背を押してくれている。
私の結婚生活でも、その足かせを引きずることになるとは
その後、大きな転機が訪れた。私の結婚だ。
しかし、ご祝儀を出す金銭的余裕もない。うつ病を理由に相手の両親に会おうとしない。
挙句の果てに「お金を援助しなさい」と、立て続けに心を折られることが頻発した。
精神的にこちらが不安定になりそうになった。
結婚して新たな家庭を築き、これからに向かって走り出すタイミングでだ。
このブログで発信したいこと・誰かの心に届けたいこと
そのストレスやプレッシャーを打破しようと、冷静に自身の状況を分析。
自身の状況を客観的にみることで、本来不要な心配や不安、親からの抑圧に戦っています。
妻の支えや理解もあり、少しずつ歩むべき方向や自身の信念を確立できるようになってきました。
親の問題や本当に苦しいです。
一般にいわれる「毒親」もあれば、我が家のようにやむを得ない病気やメンタル起因、アルコール依存、暴力、セクハラなど、子どもの人生の足かせになる親をもち悩んでいる人は多いと思います。
筆者の場合は、その状況を俯瞰して冷静に自分を保ち、なんとか前に進んでいくことができています。
そこでふと思いました。
この壮絶な苦しみや不安と戦っている人は、この不安定な世の中にたくさんいるはず。そして、たまたま自分は進むべき方向が見えたが、ずっと暗闇をもがき続けている人が多いのかもしれない。
少しでも、自分のネガティブな経験とそれに立ち向かった経験が、誰かの支えになったら。
それと同時に、これまでどこにも書くこともなかったし、話すことがなかった幼少時代からこれまでの自分の思いや境遇の振り返りを発信し自分の人生を見つめながら新たな一歩を模索したいとも思っています。
徒然なるままに書いていきますので同じような境遇の方や、いま必死に戦っている人に共感や勇気、安心をお届けできれば幸いです。
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