はじめに
前編の記事では、小3の転校で不登校や保健室登校になった経緯をまとめました。
ここでは、小4以降、徐々に教室復帰を果たした経緯を残そうと思います。
不登校で親が限界に。児童相談所への一時保護や小児精神病院に入院したことも
保健室登校をしていたのは小3から、およそ1年くらいだ。
その間、母親のうつ病との兼ね合いもあり、
一緒に1日中家にいたら虐待につながる懸念までも生じたので、
親が児童相談所に相談し、「一時入所」することになったこともある。
また、どこから紹介されたのか調べたのかはわからないが、都内の小児メンタルヘルスを扱う病院に入院し、脳波やメンタル面での原因を調べられたこともある。
児童相談所というと、世間からするとあまりよい印象はない。
あくまで地域やそのときによって異なると思うが、自身の記憶力も活用しつつ、せっかくなのでこのあたりの生活も、別途改めてまとめてみたいと思う。
担任が変わり何ごともなく登校できた
小4になったら少し教室にも徐々に行きはじめていた気がするが、
小5で担任が変わって以降、すぐにほぼ完全に行けるようになった。
クラス替えや担任交代もあり、環境がリセットされたことに乗じて
行けたのかも知れない、
小5の担任は、(客観的には)とても放任主義で、
人生それぞれあるさ、というラフなスタンスの先生だった。
しかし、人としての道から外れることには厳しく、弱みをもつ者には優しかった。
不登校・保健室登校の経緯もあり、よく面倒をみてくれた。
休み時間には、よく校舎の裏にある池に呼び出されて、
のんびり泳ぐ鯉を眺めながら困り事を聞いてくれたり、
いろいろなアドバイスをしてくれていた。
筆者が、少しでも学校生活を安心して送れるよう
当時少なかった友人と近くになるよう配慮した席替えまでしてくれていた。
いま思うと、この担任の先生は大きな支えだった。
多くを語らず、抱えている重しを理解してくれ、少しずつ払いのけるように接してくれた。
何か重荷を背負う子どもを支え後押しできるのは、
子どもがかかえる闇や重荷を理解し、
そっと後押しできるような先生ではないだろうかと実感している。
教室復帰までの学習内容を塾で取り戻せた。でもそれは誰のおかげかな?
その後、小4ではたまに登校できるようになりつつも、
本来小学3,4年で学習すべき内容の機会損失をしていた筆者。
小5から本格的に学校近くの個人塾に通い始め、
私の経緯に理解のある先生が、
懇切丁寧に小3の分野である九九から覚え直しさせてくれ、
徐々に勉強の進捗を周りに劣らないレベルまで取り返すことができたのだ。
親がして「くれたから」。親がした「おかげ」。という悪魔の呪文
ただ、このあたりから過去の回想をし、親との関係性を言語化するうえで、
重要なキーワードが出てくるのだ。
「親が塾に行かせてくれたから」ということである。
この手のワードは、多くの人、特に小中高生で同じような境遇にある人にとって
極めて強い魔力をもつ言葉だろう。
特に親から子どもに放つ言葉のなかで
これほど子どもの首を絞め、身動きをとれないようにする言葉はない。
子どもがどれだけ不遇な状況にあっても、
どんな親でもこのような言葉を発せば、
たちまち子どもは反論できない魔の言葉だ。
ここで付け加えておくが、
健全な親や家族関係において、親に感謝したり
親孝行をすることは重要だ。どんどんしたほうがよい。
ここでいいたいのは、親の立場がそうでない場合だ。
具体的には、ネグレクトや親の借金のツケを子どもに回したり、
暴力を振るっているような親に対しての話であることを前提にしてほしい。
そのような親にもかかわらず
実は親の義務であったり努めであることが、社会通念上当然であることでも
さも子どもが罪悪感を抱くように
「ここまでやってやったのに」や「誰が金をかけて育てたと思っているんだ」
という問いを投げかけてくる。
私は、この30代になるまで、
どれだけ抑圧を受けたり責められたりしても
親に感謝をし続けた。
親との生活が限界となり一人暮らしをしてからも
これだけやってあげたんだから援助しなさい。
現金をよこしなさい。
と言われ続けていた。
どんな親であれ、うつ病だから仕方ない。
病気がなければ非の打ち所のない親だ。
病気がなければ暴言や自殺未遂もしないし、
ちょっとしたことで怒り狂うこともない、
優しいお母さんだ。
経済状況が悪くなっても塾にも行かせてくれたし、
私立の高校にも入れてくれた。
だからこそ、何があっても、親は親だし、
生んでくれた以上は感謝しなきゃ。
まるで、現実から目を背けるように
理想の親孝行をし続けられるように
自分に言い聞かせるようにずっと何度も思い続けていた。
いまの自分があるのは、親のおかげ。
産んでくれたから。
あの幼稚園に入れてくれたから。
あの小学校、中学校に入ったから。
学費を払って高校、大学まで行かせてくれたから。
親とあの学校を見学にいって、ここがよいと思うことができたからいまがある。
私は、ことあるごとに、このように心のなかで親に感謝をしている。
ただ、いまはそれが正解とは思わない。
そのような無意識な「心の優しさ」が無意識にあらゆる過去の場面に接続され、
人生のすべてにおいて
「あのとき、親とあのできごとがあったから今がある、感謝しなきゃ」と、
まるで
そのときの親の判断が、
いまの自身の全てを生み出しているかのように
自分の思考を縛り付けてくるのだ。
何度も何度も何度も何度も心のなかで親への感謝を唱え、
自分の努力や行動までも、すべて親のおかげと
思い込んでいる自分に気づいたのだ。
それに気づいたのは衝撃だった。
それにこれまで気づかなかった自分にも、少し呆れた。
いつも「親のおかげ」「ありがとう」「親孝行しなきゃ」と思っていた。
いつも頭が重く感じていた。
ある出来事をきっかけに、このことに気づいたら、
心のモヤが少しとれた。
ここまで頑張ってきたのは、紛れもなくあなた自身だ。
コメント