転校をしたきっかけ
小学3年生にあがるタイミングで、東京の区内で、別の小学校に転校をすることになった。
小学2年生までは、幼稚園時代の途中に引っ越した、3LDKの新築マンションに住んでいた。
※このマンションに引っ越す前は、この記事でも記載した、母親が包丁を出した家だ。
とても広く、自分の部屋までもあった。大好きだったプラレールも広げ放題だし、
近隣の同世代のファミリーとも中がよく、家族ぐるみで活発に交流していた。
家賃は20万超えだったという。
しかし、小学3年生になると、1K、6畳の古びた木造アパートに引っ越した。
理由はいうまでもなく、家賃を払えなくなったからだ。
経緯は忘れたが、父親とふたりで引っ越し前に内見に行ったことも覚えている。
小学生で引っ越しといえばワクワクしかなかったが、
実際に行って想像と違いすぎる部屋に「せま!!」と言った小3直前の筆者。
「母親の前で、狭いって言わないでな……」と、
例によっていつもの男同士の「母親に刺激を与えてはならない」前提の
会話をしたことを覚えているが、いま振り返ると、
そのときに大きな心のつかえのようなものを感じた。
そして、その場所に合わせて区内で転校。
数日行ったところで、保健室登校をするようになった。
小3で保健室登校に
なぜか、新しい学校のことが好きになれず、
友達も作りたいと思わなかった。
転校初日から逃げ出したい気持ちしかなかった。
なぜか、その学校の校帽も、体操着も身につけることに異常な抵抗感を感じ、
通学時は帽子をかぶらず手で持っていたり、
体育の時間には着替えることすら拒否していた。
そんな未曾有の行動をする筆者に、
「どうして帽子をかぶらないの?」「どうして着替えないの?」と、
親や先生に何十回も聞かれ、頭を傾げられ、怪訝な顔をされた。
やがて、ある日玄関を出るときに身体が固まった。
あの学校に行かないとならない現実に、
心の深層から湧き上がる抵抗感と嫌気が、身体を支配するようだった。
「学校に行かない」ということに、
どれだけ安堵と安心を求めていたのかはかり知れない。
とにかく、行くことに対して本能的な抑止がかかったのだ。
学校に行くことが気持ち悪い。教室に行くことができない。
他の子と同じことをしたり、させられたりすることへの抵抗感
当時は、
席に座って誰かと話すことなど想像するだけで嫌気が差した。
好きでもないクラスメイトと場を共有し、
教室で過ごしたりするなどあり得ない。
教室で黙って座っているならまだしも、
音楽や体育で
みんなと移動して
みんなと息を合わせて
みんなと何かをするなど、
全身全霊で逃げ出したい。考えられない。
一緒に移動や着替えることすら無理。
クラスメイトと給食を食べるなどあり得ない。口に入らない。
帰りたい。家ならたくさん食べられる。
すべてにおいて、皆とそうしないとならない意味がわからないし、
心拍数が上がるようなことばかりだった。
こうして書いていて思い出したが、
あとから徐々に教室に復帰したときも、精神的プレッシャーから給食が口に入らない時があった。
サラダの残り一口だけ残ってしまい、食べようとすると吐き気がする。
そんなときに、当時の女性の担任は
「それを食べきるまで、全員の昼休みは始まりません」と、
食べ終わった全員の給食を片付けたなか、自分が最後の一口を食べるまで全員で待つという、
いま考えるとあり得ないこともあった。
その後のことは忘れたが、だいぶ長い時間自分もじっと耐えた。
口に入れるなど、嘔吐反射がおきるのでどう考えても無理な状況だった。
たぶん最後まで残した。
いま考えると、非常にやり方のまずい担任だったと思う。
保健室登校を振り返る
いまでも、それらの事象の原因や気持ちを明確に言語化することは難しい。
いまふりかえると、経済事情の悪化や親の病気、転校、住居環境の悪化など、
小学校低学年にとっては甚大な精神的ストレスがかかっていたのではないかと思う。
自由になりたかったのかもしれない。
ただ、不幸中の幸いだったのは、保健室登校をするうえで
養護教諭が非常に理解のある先生で、
自身のことも受け入れて向き合ってくれたし、
親からの相談などにも対応してくださっていたように思う。
この保健室登校や、学校への異常な抵抗感は、
自分にしかわからない感覚や気持ちだったと思う。
同じような誰かと共有したいし、
逆に同じような気持ち・壁に当たっている人がいるならば、
同じような経験をした奴がここにいると伝えたいし、
誰もがそのような状況になりうる。
でもおとなになったら、そんなことを忘れるくらい、
明るく楽しい未来が待っているということを
全力で発信したいと最近は強く思う。
堂々と社会人を楽しんでいるいまの姿を
当時首を傾げて怪訝な顔をした担任に見せつけてやりたい。
人にはわからない苦難を乗り越えて、
人並みに社会人を楽しめている自分だからこそ、
当時の苦しみとちゃんと向き合って、
必要としている人に情報発信をしないとならない気がしている。
保健室登校のときの気持ちや出来事など、まだまだ多く覚えているので、
それは別の記事にしっかり言語化していきたい。
保健室登校を打破して、教室復帰ができるようになった続きは、また次の記事にまとめます。
ご覧いただきありがとうございました。
コメント