大好きな母親がうつ病。幼少時代から、私が無意識に抱えた抑圧

うつ病の親との日々

活発で友人も多かった母親

母親は、もともと人とのコミュニケーションやアウトプットが好きだったようだ。

筆者が小学校時代のPTAでは、広報部でよく精力的に活動していた印象。「PTA部会」などで母親も学校に来る機会が多かったのだが、日中に校内で友達といるところで母親に遭遇すると、なぜか照れくさかったことを覚えている。


当時は、パソコンなどは十分普及しておらず、書類やプリント作成は「ワープロ」が主流だった。

筆者は当時からワープロなどのガジェットをおもちゃにして興味津々で遊んでいたこともあり、母親やいろいろな広報誌や配布物を作成しているのは、非常にワクワクしたものだ。
一緒に、広報誌の内容やプリントのレイアウトを考えたりすることもあった。


こういう思い出だけ振り返ると、なにも問題のない仲の良い親子だったと思う。

実際、母親のことは嫌いではなかったし、楽しい時間を過ごしているときは幸せを感じていた。

母親が怒りだす夜が来るのがしんどかった


ただ、その母親の印象がガラッと変わるときは、いつもたいてい夜のことだった。
母親は酒が好きだ。勢い余ってビールを飲み進めてくると、いきなり日中にあったことを持ち出して「どうしてあんたは~」と、父親だけでなく、幼き筆者にも、怒り・不機嫌・イライラの攻撃の時間がはじまるのだ。

そこから、両親の言い争いになり、激しいやり取りが深夜まで繰り広げられる。

小学生くらいまでは、たいてい筆者はその都度泣いていた。

幼少時に受けた抑圧と負の記憶

母親が包丁を取り出し、父親に向けた光景も覚えている。そのときは、私が3,4歳のころに住んでいた家だ。びっくりするほど鮮明に覚えている。

ただ、いま振り返ると信じられないのは、ほんとうに父親を刺したり、筆者を襲ってきたりするような恐怖はほぼ抱かなかった。

幼すぎてその恐怖のセンサーが未発達だったとも言えるのかもしれないが、「こういうときは『怖いよ、やめてよ』と言わないといけないんだろうなあ」といった思いで、流れで泣きながら叫んだことも覚えている。目の前の現実が、少し他人事のように、筆者の目には映っていた。

本能的に、苦痛な現実を遠い視点でみるように、既に心が防衛していたのかもしれない。

母親は、そのような物理的に衝動的な行動をするときもあれば、精神的に参るような言葉で唐突に攻めはじめてくることも多かった。

最も幼少のころの記憶では、幼稚園の授業参観の日だ。
園庭で遊ぶ時間に、普段はいないはずの親に見られているのでもじもじしてしまい、物陰に隠れて遊んでいた。

その日の夜、母親と風呂に入っていたとき、急に母親の機嫌が悪くなり、責められたことが印象に残っている。


「何なのよあの昼の態度は!」と、幼稚園児の筆者が急に怒られはじめたのだ。

当時は「態度」という言葉にピンときていなかったが、急に怒られはじめたことが受け入れられず泣いたのかどうかは忘れたが、未だにその場面と言葉だけ、脳裏に蘇る。

母親は、なにか思うようにいかなかったり、理想とのギャップを感じた瞬間に、スイッチが入ってしまうようだ。


それにしても、幼稚園時代の記憶はいくつか鮮明に残っているが、人とそのようなことを話すと驚かれることが多い。

筆者は特に記憶がいいほうだと思う。

ただ、最近思うのは記憶が良いだけでなく、それほど心に残ってしまう理由があったからではないだろうかとも考えることが多い。

家族で楽しく食卓やお祝いのケーキを囲んだり、でかけたりすることの思い出が多い分、同じくらいネガティブな思い出も多い。

その分、よくも悪くも記憶を反芻してしまうため、過去に起こった嫌なことを思い出していらいらしてしまうときもある。

自身が思っている以上に、とてつもなく大きな抑圧を受けていたのだと思う。

記憶の反芻はうつを招く?

ただ、このように記憶を何度も反芻してしまう傾向の人の場合、それが極端化してしまうと、うつになる傾向もあるようだ。

ここで、うっかり自分まで母親からの症状をもらってしまうわけにはいかない。

うつは、長年一緒にいたりその人のことに気を取られすぎると、気づいたときには自分も……という可能性もあるので、十分に気をつけたいと思う。


思い返していろいろ考えてしまう癖は、しっかり自分で認識し、適度に軽く受け流すように努めている。
最近思うのは、考えすぎでもなにも変わらないし、始まらない。

現実は変わらないので、いまのこの悔しい状況からどう脱却するかを諦めずに考え続けることでその先は開けると、実体験を通して思う。

前を向き続けて得たキーワード

前を向き続け、いまの自分をやさしく受け入れてあげる癖をつけると、気づいたときには少し視野が広がっていると思うことも多かった。

筆者は、母親との家庭環境にも、多くの苦難や自身の課題にぶち当たってきた。

転校、保健室登校もしたし、児童相談センターでの一時保護もされている。

友人ができない悩み、恋人ができない悩みにも空回りする時期もあった。

しかし、どの経験にも共通して自身で気づき、それがいま振り返って正解だったと思うことも多くある。

そのひとつが「自分は人とは5年くらい遅れている」という認識をもったことだ

それについては、いまの自身に至る重要なテーマでもあると思っているので、別途まとめていきたい。

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